【小林正観】神社で願い事をするのは神に喧嘩を売っているの話|神は執着を嫌がる|見方道|小林正観講演会 #98
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『釈迦の教えは「感謝」だった』
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まとめ
神社は感謝しに行くところ。
最近ではそういうことを書いたり話す方も増えました。
2000年代の頃は、まだそういう意見は少なかったと思います。
願いの語源は労い。
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労うの意味は「努力に対する感謝の気持ちを表現する」
労うという言葉は、「努力や骨折りに対して感謝する気持ちを何かしらの手段を用いて表現する」という意味です。この時、労いの対象となる行為は、ほんの少しの努力・労力ではありません。
労うという言葉を使う時には、その対象人物が何か(時間・お金・体力・人脈調整等)を犠牲にして頑張った時です。そのため、たとえばすぐ近くの自動販売機からお茶やコーヒーを買ってきた…というような場合に使うのは本来の意味からそれてしまうため、的外れです。
https://biz.trans-suite.jp/114#i-2 から引用させていただきました
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神のしてくださったことを労う。
感謝するという意味合いになる。
執着=我=エゴ
を神は嫌うので、
こうしてくださいというのは少し違う。
動画では
10年以上前にあるグループの方から、神社でのお賽銭について提案された話。
きっぱり断ったんですが、
これもお金の入り口ではなく出口から考えたら少し変ではないか?
とお伝えした話です。
いつもありがとうございます。
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