欽ちゃん言葉が生まれた理由|萩本欽一名言
これはなるほどな話。
コンセプトを語った文章です。
『人生が楽しくなる気持ちのいい日本語』 16ページより
欽ちゃん言葉が生まれた理由
テレビの世界が変わったんだよね。
大きいスポンサーが、お笑い番組を買ってくれるようになったの。
それまでは、お笑い番組のイメージって悪くてさ。商品に傷がつくかもしれないっていう理由で、スポンサーがつきにくかったのね。
それが、突っ込みに「の」や「よ」をつけたことで、スポンサーが安心して番組を買ってくれるようになって、ゴールデンタイムでお笑い番組ができるようになったわけ。
【セクションの全文】
この本では、日本語のしゃべり方についての話をするわけだから、まずはボクの言葉が、なんでこういうふうになったのかを話しちゃうよ。
ボクの話って、語尾に「よ」や「の」がよくつくじゃない。「ダメだよ~」「そうなのよ~」「バンザ~イ、なしよ」「なんでそうなるの」って。
これは、ボクがテレビに出るようになったときに、自分なりに考えて、それまでとは意識的に変えて使った言葉なの。それまで、浅草の舞台に立ってたときは、「ダメだ!」「いい加減にしろ!」って、鋭い突っ込みを入れてたのよ。
ボクが高校を卒業して、浅草の東洋劇場に入ったのは、昭和34年のこと。
コント55号を結成したのが昭和41年。
フジテレビで『お笑いヤマト魂』っていう初めてのレギュラー番組を持ったのが、それから2年後のことだったの。
この頃って、身分や貧富や性の違いについての差別的な意識を1回転させて、笑いのネタにするのが一番ウケてた時代だったのね。だから、突っ込みも自然に厳しくなったわけ。「なにぬねの」が語尾にくるような緩い突っ込みじゃダメ。「......してね」じゃ、話がオチないもん。舞台では「ダメだ!」「いい加減にしろ!」みたいに濁点や「らりるれろ」が語尾につく、スパッと切れるような突っ込みが必要だったの。
でも、テレビって、そういうわけにはいかないな、と思ったの。ストリップをやってる劇場とは違って、テレビは女の人も見てる。子どもだって見てる。「なにすんだ!」って、濁音で終わっちゃうとキツいから、「だ!」のあとに「よ~」をつけることで、キツい言葉を緩和させようと思ったの。「なにすんだ(!)よ~」なら、いいだろうって。」
ボクがあんまり「の~」とか「よ~」とか言うから、当時の週刊誌に「萩本欽一はオカマだ」って書かれたこともあったけど、ボクは「の」や「よ」がテレビには必要だと思ったから、気にしないで、そのまましゃべり続けたのよ。
そしたら、テレビの世界が変わったんだよね。大きいスポンサーが、お笑い番組を買ってくれるようになったの。それまでは、お笑い番組のイメージって悪くてさ。商品に傷がつくかもしれないっていう理由で、スポンサーがつきにくかったのね。それが、突っ込みに「の」や「よ」をつけたことで、スポンサーが安心して番組を買ってくれるようになって、ゴールデンタイムでお笑い番組ができるようになったわけ。
昔の話やテレビの話は、あとでたくさんするとして、そんなわけで、ボクは、こういうふうにしゃべるようになったの。こうやって、欽ちゃん言葉が生まれたの。
もちろん、この本の中でも、このままでしゃべるよ。
管理人感想
今では当たり前かもしれないことなんですが、目からウロコでした。
マツコ・デラックスさん、IKKOさん、美輪さんなど。内容的には核心をついたことを言っても、語尾で柔らかくなる。
これも以前タモリさんが言っていたことですが、
自分がいうと重く受け止められるからあまり言わないようにしている。
たけしは(ビートたけしさん)きついこと言っても、オレみたいにならないから羨ましい。
文章にすると変わらなくても、
その人の持っている声質やイントネーションでも変わってくる。
萩本欽一さんのこの発見、発明というのは、応用できるな~と思った管理人でした。
萩本欽一とは
お笑いで頂点を極めた、天下を取った。
今のTVの流れをたくさん作った方だな~と思っております。
ブログを見てくださって
ありがとうございます。